トリック・オア・トリート! 


裏庭の勝手口から食堂に入ると、用意してもらっていたお菓子の入ったカゴをクリフトは礼を言って受け取った。
子供好きなサントハイムの神父が毎年、城のコックに頼んで作ってもらったものだ。
本来ハロウィンは宗教イベントではあるが、古くからの因習を重んじるサントハイムの城内では一切行われない。
しかし、サランの教会や孤児院では開かれるハロウィンのお祭りにそれを持って行くのがクリフトの仕事であった。
ずっしりとしたカゴの重みを感じながら、子供達の喜ぶ顔を思い浮かべて裏庭を通り城門へ向かおうとしていた。

「トリック・オア・トリート! クリフト!」
突然小さな人影が飛び出してきた。
急な出来事にびっくりするも、聞き慣れた声には反射的に反応している。
「姫さま…?」
「だーかーら! トリック・オア・トリート!」
アリーナが両手を後ろ手に、満面の笑みでずずっとクリフトに詰め寄った。
「ああ…はい、お菓子ですよ」

クリフトがカゴの中から、綺麗な包装紙で包まれたキャンディを一つ取り出すと、微笑みながらアリーナに手渡す。
旅の間初めて体験したハロウィンのお祭りを、とても楽しそうにしていたのが心に残っていた。
『どうしてこんな楽しいお祭り、城ではしないのかしら?』
アリーナが褐色の肌をした姉妹達と着飾って、一緒に騒いだ日々を思い出して目を細める。

「ありがとう!」
アリーナは無邪気な笑顔でそれを受け取ると、くるりと包装をはいで中のキャンディをほおばった。
「これからサランへ行くの?」
「ええ、教会のお手伝いをして参ります。帰って参りましたら、パンプキンパイを一緒に食べましょうね」
「本当?!」
満面の笑みで喜ばれると、ついつられて笑みが浮かんでしまう。

「ね、クリフトも言って」
「え?」
「ほら、トリック・オア・トリート」
「ああ…」
アリーナは何かを隠すように自分の手を背に回し、ニッコリ笑う。
アリーナもお菓子を用意しているのだろうか?クリフトの頭に一瞬「アリーナのお菓子=パデキア味のケーキ」が浮かんだが、それすら彼女の手作りなら愛おしい。

「トリック・オア・トリート」
彼女の視線に合わせる為にクリフトが少しかがんで微笑むと、アリーナが太陽の笑みのまま彼の首根っこをグイと引っ張って、そのままの勢いで口付けた。
「?!」
状況がつかめず、ただ狼狽えるばかりのクリフトの唇を割って丸いものが押し込められる。
半分放心状態のままそれを口内に受け取ると、アリーナは軽いステップで、口付けたのと同じ勢いで離れた。
一歩離れた所から猫の瞳で彼をうかがう。
アリーナは自分の唇の周りについたキャンディの解け残りをペロリと舐めて、つややかに光る唇をニッと横にひいた。
「どう?ハロウィンのお菓子は美味しいかしら?」

柔らかな唇の感触と、ひたすら甘い味覚にめまいを感じてクリフトは腰に力が入らず座り込んでしまった。
両手を地に付き四つん這いのまま、あぜんとしたままのクリフトを笑うと、くるりときびすを返しマントをなびかせてアリーナは走っていった。
途中「ひゃあ!」と小さく悲鳴を上げて飛び上がる。
「あ!パンプキンパイ忘れないでよ!」
振り返ってそれだけ言い残すと、颯爽と走り去ってしまった。
「な…」

手のひらのホコリを払ったものの、立ち上がれないままその場に座り込む。
一陣の風の様な出来事は、まるで狐にも騙されたようで…
口の中でとろけるキャンディだけが、現実だと教えてくれる。

「これは、トリック(悪戯)なんですか?トリート(御馳走)なんですか?」
クリフトは甘くため息を吐くと、誰にも聞こえない程小さな声でつぶやいた。


□□□その後□□□


サランの教会へ赴き、子供達にお菓子を配っている間もずっと心がざわめき落ち着かない。
サランの神父様にまで「顔色が優れないようだから、早くお帰り」と促されてしまった。
早く帰りたい。
早く姫さまのお顔を拝見したい。
という気持ちと、会ってしまった先程の事は全部夢だったのではないかと、全て壊れて砕けてしまうのではないかという恐ろしさが混じって、どうしたらいいのか分からない。
重く停滞した気持ちをため息として吐き出したら、また神父様に心配されてしまった。
本当に申し訳ないという思う気持ちでいっぱいになる。

それでもお祭りの手伝いを全て終わらせ、城への帰途へ着く。
ずっと上の空だったらしく、ほとんど今日した事を覚えていない事に気が付いた。
朝と同じように裏庭から食堂に入り、カゴを返してお礼を言うと、コックの一人が笑顔で答える。
「先程、アリーナ姫が焼き上がったパンプキンパイを持って、クリフトさんの部屋へ向かいましたよ」
「え?」
そうだ!そういえば、そういう約束をしていた。
朝用意した生地を、この時間に焼き上がるようにコックに頼んでおいたのは自分だ。

「これも要るでしょう?」
とカゴと引き換えに渡されたお湯の入ったポットと紅茶セットを手に、自分の部屋へ向かう。
礼拝堂を抜けて、見慣れた自分の部屋へ着くと動けずに数分の間、木の扉を睨んだ。

いつもはどんな顔で姫さまと接してたのだろうか…?
無意識に今朝の出来事を思い浮かべて、赤くなる。
あれはきっと、姫さまがハロウィンの事をなにか勘違いしていたのではなかろうか?
口移しでお菓子を渡すのが一般的だと思っていたのではないだろうか?
旅の間にあの踊り子に、何か変な事を吹き込まれたのではないだろうか?
城から飛び出すおてんばではあるが、一般常識とずれた所があるのはやはり「姫」たるところか。
勝手な解釈を扉の前で続けていると、急に前が開けて姫さまが小首をかしげて軽く眉をひそめていた。
「そんなところで何やってんの?」

「さっき足音がしたら、クリフトが帰って来たと思ったのに、なかなか入って来ないんだもん」
「す、すいません少し考え事をしていたものですから」
「そんな事より、パイ冷めちゃうよ!」
いつもと変わらぬ姫さまの対応にほっとしつつも、どこか残念な気持ちでパイを切り分け、紅茶を入れる。
琥珀色の液体の入ったティーカップと共に、砂糖とミルクと輪切りになったレモンを差し出した。
「今日はどれになさいますか?」
「そうねー パイが甘いからレモンティーにしようかな」
「かしこまりました」

いつもの雰囲気。いつもの会話。
そうだこれでいい。
変化するのは嬉しい以上に恐ろしい。
今まで築き上げたものは壊してはいけない。
やっと落ち着いた心で紅茶を一口、口に含んだ。ほのかな苦みが広がり心地よい。
「ねぇ、クリフト。ファーストキスがレモンの味って本当なのねぇ。
あ、でもあれはレモンキャンディか」
ぶはっ
「ちょっと!どうしたのよ?クリフト」
思わず吹き出した紅茶を姫さまが慌ててタオルで拭き取る。

タオルを手に私の服を押さえていた姫さまが、そのままの体勢でつと上を向いた。
妙に距離が近い。
まだ混乱ぎみの私は身体を離す間もなく、近距離で姫さまの艶やかな笑みを受ける。
「ねぇ、クリフト。セカンドキスはレモンティーの味だって知ってる?」

私は、今日二度目のレモン味を味わった。




 





2009/11/03

壁はぶち壊す姫。

公開したのは前半部分でしたが、後半蛇足で付けてみたら一人称が変わってしまいました。
前半三人称で後半クリフト一人称?
どちらかに統一する事も考えたのですが、時間がかかりそうなのでこのまま公開しました。

「treat」を調べたら、お菓子ではなくて「もてなすもの」とか「御馳走」とweb辞書に載ってたのでそのまま使いました。
アリーナのキスは御馳走ですよ!
アリクリ楽しい、アリクリ万歳!