伝説のピンチヒッター


カキーン
見事な金属バットの音が響き、思わず目をやった。
白球が、雲一つない濃紺の空を円弧を描いて飛んでいく。
夕日川の土手の一部に作られた野球場で、青と白のユニホームの少年達がそれを顔で追っていた。

土手の上では、この暑い時期にもかっちりと真っ黒の長ランを着込んだ男が2人、少年達と同じくその球を見送っていた。
「わ、逆転ホームランですね」
歓声の中、次々にホームへランナーが帰ってくる。
手でひっくり返すタイプの点数表が、忙しく回されていく。

「ありゃ、高潔の新人じゃねぇか?」
そう一本木に言われてみれば、最後のランナーとしてダイヤモンドをぐるりと回ってる少年は、最近よく見る顔だった。
亜麻色のボブヘアーを1つに結んで、何にも追われず優雅に、ホームに走り込む。

「あ、菊地君って『伝説のピンチヒッター』って呼ばれてるんですよ。
菊地君が入るチームは、必ず勝利するんだそうです」

「伝説ねぇ…
あんまり良くねぇな」
一本木は眉間に皺を寄せて、球場の騒ぎを見つめている。
「え?何でですか?」
「アイツ等の顔を見てみろよ」
あごでしゃくられて、見たその先で、
歓声を上げて、戻ってきた菊地を取り囲む一帯は、うっすらと炎のオーラに包まれていた。

あれは「応援」の時、自分達に、そして応援される者達の背後に見える炎と同じだった。
「多分、無意識なんだろうが、『応援』しちゃってるんだよ、アイツは」

自分が入ったチームを応援する。それは、ごくごく当たり前の行為なのだけど。
「フェアじゃねぇ」
一本木が言いきった。
確かに…いくら無意識としても、応援団としての「力」を自分のチームが勝つために使うのは、不公平だ。

「だから、西園寺さんは、菊地君に特定のチームに入らないように言ったんですね。
あれ?でも、菊地君の伝説って、応援団に入る前からありますよ?」
本格的に名前や顔を知ったのは、ついこの間だが、名前だけなら中学の頃から噂になっていた。
最もその頃から、菊地は特定の部活やチームには入らず、今と同じ様に助っ人としてのみ参加していたようだが。

「アレを無意識でやってるなら、それは才能だろうよ」
つまらなそうに言い放って「ほら、行くぞ」ときびすをかえした。
長ランの裾がひるがえり、裏地の赤が一層赤く見えたような気がする。


才能か…
きっと、自分には関係のない言葉。
技術や知能は、全て努力でもぎ取ってきた。
何もせずに、すでにその「力」を手にしている事など、自分にはありえない。
軽く横に首を振って、もう一度球場を仰ぎ見た。


チームメイトに囲まれて騒いでいた菊地が、突然こちらを向き、
ブンブンと振り切れるくらいに右腕を振ってきた。
それと同時に、チームメイトや敵チーム、観客まで一斉にこちらに注目されてしまった。
困って小さく手を振って返すと、急いで一本木の後を追いかけた。

菊地のあの顔を見たら、何だか一瞬でも彼を羨んだ事がバカらしくなってしまった。
気が付けば、田中にもさっきの菊地と同じ笑顔が浮かんでいた。

先を進んでいた一本木が立ち止まり、振り返って田中を待つ。
「おせーぞ」
「お、押忍!」


才能がないのなら…
今まで通り、努力してもぎ取ればいい。
それが、自分の生きてきた道だ。
誰かを羨むなど、とんと見当違いに違いない。
きっと、自分にはやり遂げるだけの根性なら備わっている。

走って追いついた後輩を、一本木はようやく笑顔で迎えた。





野球はほとんど知らないので、描写が変なのはごめんなさい。

菊地のは、応援の才能というか、ムードメーカーの上級編みたいなものだと思います。

田中が努力努力の人なら、菊地はちょっとだけカリスマ(というか天然というか)だったり。
それを悔しいと思いつつ、やっぱり努力するしかない田中。
それが分かっているから、あまり田中に気に病ませたくない一本木。
といった関係。
一本木と田中のコンビが好きなのかもしれない。
2007.08.21

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