「カイトー!カイトー!」
飛び跳ねる声が近づいてくる、文字通りミクがしっぽを大きく揺らしながら飛び跳ねてこちらにやって来る。カイトは嫌な予感がしながら朝の掃除の手を止めた。ぴょんぴょんと跳ねながらミクはホウキを持ったカイトの横を勢いよく通り過ぎて…急ブレーキとUターンして慌てて戻ってくる。
「ちょっと行きすぎちゃった!」
「おはようミク、今日も元気だね」
「おはよー!!そうそう!カイトは今日も座長クビね!」
「うぐ……」
初めて座長をクビになったのは、数ヶ月前のワンダーランズ×ショウタイムの海辺のショーを見に行った時だった。座長の仕事で手一杯のカイトを休ませるためにミクが案じてくれたものだったけど、今は月に数回はこうやってクビを言い渡されるようになっていた。
その理由は理解してはいるけどどうしても「クビ」という強い言葉から「自分が座長として未熟だから」なのかもしれないという思考が頭をよぎってしまう。カイトは多少の心の痛みを抱えてミクに尋ねた。
「今日は誰が座長なんだい?」
「今日はルカだよ!ねむねむぬいぐるみショーをやりたいんだって!舞台の上でみんなでお昼寝するのだー!」
それはそれでどんな内容なのか興味があるけど、準備しているみんなの元へ行けばやれ「手伝うな」「口を挟むな」と言われてしまい。やっぱり自分はいらない人間なのではないかとまた心が曇るのだ。
「お昼はみんなで食べようね!」そう言ってミクは走り去ってしまった。
やらなきゃいけない事は山ほどあるのだけど劇場に近づけば、警備係のぬいぐるみに笛を吹かれて追いやられてしまう。
急にできた空き時間に何をしようかと城前広場のベンチに腰をかける。前回は書きかけの脚本を執筆していたら「座長じゃないのに脚本書くな」とか「仕事をするな」とペンと紙を取り上げられたし、城の中にある図書室の戯曲の本は大抵読み終わってしまった。
目が冴えて昼寝をする気分でもなく、ぼんやりと虹色に光るくまさん形の入道雲を見上げていた。一時期ミクとリンとレンがあの雲が綿あめでは無いかと追いかけていたこともあった。現実にはありえなくても、このセカイならありえるかもしれないとカイトも気にはなってはいたけど、ミク達が何度やっても雲が逃げてしまい真相はわからないままになっていた。
「カーイト」
くまさん雲の横からにゅっとミルクティーのような色の丸いボブヘアーの頭が覗き込んできた。
「なーにしょぼくれてるのよ」
「メイコ?」
笑いながら彼女はカイトの横に座る。
「案外何もしないというのは難しいと思ってね」
「少し寝たら?全然寝てないんでしょ?」
その言葉にびっくりしてカイトは振り返った。
「何で…」
「気が付かないとでも思ったの?」
「それなりに…演技はできてると思ってた」
カイトにとって演技はお手の物だ。今までどんな曲の役だって完璧にこなしてきた自負している。どんな悲しい事があっても笑顔でも無表情でも過ごす事ができると思っていた。
「そうね、でもそんな目の下にクマを作ってたら誰にだってバレるわよ。一昨日のアクロバットの事故……でしょ?」
一昨日の練習の中でミクが渡る綱渡りの綱が老朽化して切れて落ちるという事故があった。落ちた本人は本物の猫のように空中でくるりと回転して見事に地面に着地しては、ぬいぐるみ達に大絶賛を受けていた。一方周囲のバーチャルシンガー達は冷や水をぶっかけられたかのように青い顔をしていた。
アクロバットに使う道具の点検はぬいぐるみ達に任せていた。ぬいぐるみだって一座のメンバーなのだからと仕事を与えていたのだ。せめてバーチャルシンガーの誰かが一緒に点検すべきだったとカイトはそう思って、ここ2日間寝ずに夜の間にアクロバットやショーに使う道具を一つ一つ点検をしていた。少なくともそれが座長としての仕事だと思っていたからだ。
それだけではなく、もしあの子達が怪我をしたらと考えたら恐ろしくて眠ることができなくなっていた。司の想いからできたこのセカイでは、ぬいぐるみやバーチャルシンガーが大怪我をしても消えていなくなることはないだろう。だけど人間の子供達がこのセカイで何かあったらどうなるかは分からない。現に司が稽古中に足をひねった時も魔法のように治ることはなかった。
入道雲は綿あめかもしれないし、違うかもしれない。このセカイで死んでしまうことは無いかもしれないし、有るかもしれない。
ワンダーランドのセカイのKAITOは一般的なKAITOの中でもとりわけ責任感が強く生真面目な性格をしていて、一途に一人で思い詰めてしまう傾向があった。
「今、みんなでショーに使う道具をピックアップして一覧表を作って点検を始めたわ」
「えっ?!」
「だからあなた一人が負担する必要はないのよ」
メイコがそっとカイトの膝に手を置いた。柔らかく暖かい手の感触でカイトの張り詰めていた気が溶けて目の前が真っ白になる。気が抜けて一気に眠気が押し寄せてきたせいかめまいに近い眠気を覚えてカイトは頭を抑えてへらっと笑う。
「ようやく眠くなってきた…」
「それはよかった!ルカ一押しの芝生を教えてあげようか?とっても芝が柔らかくてゴロゴロするのに最適なんだって!」
「いや……」
ふらふらの頭のままカイトはメイコを見上げた。ルカの名前が出てきたせいもあったが、ずっと抑えていた理性が眠気とともに抑えきれなくなっている。
「メイコの膝枕がいい…」
「は?!」
朦朧としてトロンとした表情のままカイトはぐいっとメイコに向かって身を乗り出すと顔を覗き込んだ。
「めーちゃん、お膝貸して?」
いつもより低くざらついた声。するりと口から出てきたのは以前ルカが言っていた言葉そのままだ。初めて言ったのにも関わらず何故か「めーちゃん」というフレーズが懐かしてくて口に馴染んだ。あれを素直に言えるルカが羨ましくて仕方がなかったのだ。
「ふへぇ?!」
再び変な声をあげたメイコは驚いて体を引いたがベンチの背もたれにぶつかって逃げられない。逃げられないのをいい事にそのままカイトはズイっと顔を寄せた。
「ルカは良くて僕はダメなの?」
「そうじゃなくてっ」
至近距離の青い瞳の中に疲れを察知したメイコは自分の膝をぽんぽんと軽く叩いた。
「ほら、早く寝なさい」
その言葉にカイトは半ば崩れるようにメイコの膝に頭を乗せる。ぼんやりと見上げた空には赤い双丘とその向こうに心配そうに覗き込むメイコの顔が見えた。
メイコがそっと彼の青い髪を撫でるとくすぐったそうな顔をしてそのまま目を閉じた。頭を撫でる手は優しくその感触を惜しみながらもカイトの意識は深く落ちていった。
□□□
「メイコー!カイトー!ご飯の用意できたよー!!」
遠くから近づいて来るミクの声。声は跳ねて近づいて来ると「はやく来てね!」とまた遠ざかっていく。
「ありがとう。カイトを起こしたら行くわね」
いつの間にか眠ってしまったようだと、カイトは自分がどこで眠っているのかは思い出せなかった。声だけは鮮明に聞こえてくるものの、夢と現実の間で頭だけは少しずつ回り始めても瞼が重くて開きそうになかった。声からして近くにメイコがいるらしい。なんだかとてもいい匂いがするし、柔らかくしなやかな枕が心地よくて自分の部屋にも欲しいと思わず頬ずりをした。
「ねえ…カイト、そろそろ起きて」
肩を掴まれて軽く揺り動かされてようやくカイトは目を開けた。
「…?!」
慌てて身を起こすと覗き込んでいたメイコと額をぶつけた。
「痛っ」
「ご、ごめん!メイコ」
額をさすりながら身体を起こしてその場に座りなおすと、ようやくカイトは自分がベンチで寝ていた事に気がついた。自分が頭を乗せていた”心地よい枕”が見当たらなくて周囲を見回すと、同じく額をさすっているメイコが隣にいるだけだった。
「僕、どこで寝てたの…?」
「どこって…私の膝の上だけど」
「何で?!」
「カイトが膝を貸してって言ったんでしょう?覚えてないの?」
カイトがブンブンと縦に首を振る。先ほど頬ずりしたものの正体に気がついて熱くなった顔を両手で覆い隠した。
「それで…ゆっくり眠れた?」
どこまでも優しい声に頷き返したが、恥ずかしすぎてメイコの顔を見る事ができない。
「いや…ごめん。こんな醜態晒して恥ずかしい…」
「私はカイトの珍しい顔を見られたから、それだけでも儲けものだわ」
ハハハっと明るい笑い声にゆっくり手を下げて彼女の顔を伺えば、何か企んでいるかのようににっこりと笑う。
「さぁお昼ご飯食べに行きましょう。どうせ朝食だって食べてないんでしょう?」
□□□
意外と言うべきか、ミクはカイトとメイコの膝枕が重要な事だと思っていなかったらしく誰にも言いふらしていなかった。「だっていつもルカにもやってるでしょ?」何が違うのかと星の瞳をキラキラさせて小首を傾げる。
しかしベンチの側を通ったぬいぐるみに目撃されていて、あっという間にぬいぐるみからぬいぐるみへ、そしてバーチャルシンガーへと拡散されていた。その日の夕方には劇団員全員にその事が知れ渡っていた。
「へーカイトって案外甘えん坊なんだね」とレンとリンにはクスクスと笑いを含ませて言われるし「めーちゃんのお膝は私のものですよ」とルカに柔らかく釘を刺される。
次にワンダショのメンバーがセカイに来た時には「道徳上、そういう事はぬいぐるみ達が見てないところでやった方がいいんじゃないか?」と司からは本気のダメ出しをされた。
カイトは赤くなったり青くなったりしながら必死に弁明に追われる事になった。
終
----------------------------------------------------
MEIKO Side
なだれ込むように膝を枕にし、そのまますぐに眠ってしまったカイトの青い髪をそっとメイコが撫でた。倒れた時に外れたヘッドセットを壊れないように側に置くと、外向きで眠った彼の顔を覗き込む。クマをたたえてはいるものの瞑られた目は穏やかそうな表情で安心した。
設定年齢の無い二人だけど、今回は子供達の良き導き手であるようにと20歳前半くらいで作られていると思う。こうやって眠っているとあの子達くらいの少年のようにも見えるから不思議だ。
カイトの髪は柔らかくも癖っ毛で何度撫でても外はねしてしまう。メイコはくすりと笑って、持ってきた文庫本を開いた。
もともと今回メイコはカイトを休ませる役割であった。自室まで送っていくかルカ一推しの芝生に転がそうかと考えていたけど、まさか膝枕をねだられるとは思わなかった。
「もう少し頼ってくれてもいいんじゃないかなぁ…」
文庫本から青い髪に視線を落としてメイコはつぶやいた。
□□□
ミクの転落事故が起こった日は練習の後に公演が続いてドタバタと忙しいまま1日が終了してしまった。みんながどうにかしないといけないと思いつつ、気がつけば夜になりクタクタになってお開きになってしまったのだ。
次の日、いつもは温厚が服を着たようなカイトがどこか気が立っている様子にメイコは気になった。あんな事故があったせいもあるのだろう。しかしその日の夕方にはワンダショのメンバーがやってきて、彼らのショーの練習に付き合っているうちにそれもうむやむになってしまう。カイトに何か話しかけなくてはと思っていても司と話し込んでいたり、気がつけば姿が見えなくなっていてメイコはほとほと困り果てていた。
「メイコどうしたの?すっごく疲れた顔してるよ!」
床でアクロバットの練習をしていたミクが、疲れてベンチで休憩しているメイコに声をかけた。
「ミク…カイトを見かけなかった?」
「さっき大道具の部屋の近くで見たけど…何か用があるの?」
「今日のカイト変じゃなかった?」
「そうかなーいつもと一緒だったよ!」
動物的な勘なのか人の機微に目ざといミクが何も感じていない事に引っかかる。ミクが言ったように大道具部屋に行こうか迷った時、園内放送で21時の閉園時間を知らせるほたるの光が流れてきた。特にルールがあるわけではないけど、何故かこの曲を聴くとこのセカイの住民は休まなければいけない気がしてならないのだ。
ぬいぐるみ達がぞろぞろと自分の部屋であるおもちゃ箱へ戻っていく。
「メイコも疲れてるなら早く休んだ方がいいよ!」
ミクももう部屋に戻るのだろう、立ち上がって道具を片付け始めていた。
「ミク、一つお願いがあるんだけど…」
□□□
本を読み終わった後、メイコはふと思い立ってジャケットの内ポケットからスマホを取り出した。バーチャルシンガー達が各自このセカイに誕生した時から持っていた、そのメーカー不明の小さな機械をメイコは音楽を聴くのにしか使っていない。
「確かこのアプリを起動して…」
前にリンに教わった方法を思い出してメイコはスマホを操作する。カシャリとデジタルのシャッター音がして、画面にカイトの寝顔が写った。
「本当に撮れた!」
メイコはスマホを掲げて喜ぶと何度も撮れた写真を確認する。
「これカイトに無茶振りする時に使えそうね!」
ニヤニヤと画面を見ながら笑っていると、「メイコー!カイトー!」とぴょんぴょん跳ねながら劇場に続く道からミクが走ってくるのが見えた。
終
▲ ■