チェシャっとスマイル

「僕がチェシャ猫かい?」
 衣装と台本を渡されたカイトは目を丸くしている。
「いつも帽子屋か芋虫役だったからびっくりして…」
 なるほどと配役を決めた類が頷いた。
「今回はちょっと意外な配役をしているのです。帽子屋はリンくん、芋虫は寧々に演じてもらいます」
 その二つは若い男性がよく配役される役である。不思議の国のアリスといえば国内外ありとあらゆるエンターテイメントでやり尽くされ手垢まみれの題材であるといえよう。だからこそ通常のイメージとは真逆の配役にしたのだ。
「やっぱり演じにくいですか?」
「いや、面白そうだと思ってね」
 ふわりと笑う笑顔を見て逆に類は不安になる。このセカイに来て半年の間ここワンダーランドで行われているショーではカイトが演じる役は王子や勇者などのヒーロー役が多いし、舞台の外でもいつもニコニコとしていて不快そうな表情をひとつも見せたことがない。今回のチェシャ猫は小悪魔的な意地の悪さやなまめかしい笑顔を絶やさないキャラクターで、実直なカイトには向いていない気がした。
「そう言えば、ルカは何の役なんだい?」
「眠りネズ…「適役だね!!」
 きちんと最後まで人の話を聞くカイトが食い気味に返事をするのは珍しい。それだけ適任だと思ったのかもしれない。
「類くんは?」
「僕は……」
 そう言って類はポケットにしまっていたものを取り出して自分の頭に乗せた。茶色の長い耳が地上から180cmを超えた高さで揺れる。
「三月ウサギです」
「ウサギ…」
 カイトが茶色のうさ耳を見上げて呟いた。
「ずいぶん迫力があるウサギだね…」
 これに関しては司達にもかなり評判が良かった…というかまあ反応は面白かった。意外性を求めるなら自分がウサギ役を買うのが適任だろうと類は判断していた。自分の出番よりも面白い方を選ぶのは演出家の性というものだ。
「一時間後に台本の読み合わせがあるので衣装に着替えて城前広場に集まってください」
「分かったよ、ありがとう」
 そうカイトは衣装を大事そうに抱いて笑った。

 一時間後の広場には色とりどりの衣装を身につけたメンバーが集まる。トランプ兵のベストを着たぬいぐるみ達もぴこぴことかわいい足音を立ててやってくると芝生に座り込んだ。ミクのハートの女王、メイコの公爵夫人、カイトのチェシャ猫、リンの帽子屋、レンのドードー鳥、ルカの眠りネズミとバーチャルシンガーも一揃いしている。
 ワンダーランドのお城の鐘が鳴ると類は広場の前のステージで全員を見渡して口上を述べる。
「ハロー エブリワン!我がワンダーランズ×ショウタイムの新しい演目の為お集まりのみなさま、誠にありがとうございます。今回演出を務めさせていただきます神代類と申します」
 優雅に一礼をすればみんなからの拍手と共に「シッテルゾー!」「イイゾー!ルイー!」などと歓声が沸き起こった。

 今回はまだ台本を渡したばかりの初回の軽い読み合わせのようなものである。衣装も身につけているから雰囲気だけはバッチリだがぬいぐるみたちなどはほとんど遊びのようにワイワイと騒いでどこかへ行ってしまう。それをカイトが追いかけて抱っこすると正しい位置へ戻るの繰り返しだ。
 チェシャ猫初登場のシーン、類はさっきの不安のままカイトを見た。彼は自分の出番に列から一歩前に出る。台本を開いて手元に持っても一切それを見ずに唇を開いた。
 さっきまで甲斐甲斐しくぬいぐるみ達の世話をしていたと思えないような気だるい言葉運びになまめかしい笑顔。猫のようなしなやかな動きに、扱いにくそうな長い尻尾を手慣れた手つきでさばいてみせる。
 一同あっけにとられたままカイトはセリフを読み終わったが、次の出番の司が固まったまま動けずにいた。カイトは「司くん?大丈夫かい?」などといつもの顔で心配そうに顔を覗き込んでいる。
「カイト…お前…そういう演技もできたんだな」
 絞り出すようにつぶやくと、カイトはさっきと同じ艶やかな笑顔を返した。
 それを見ながら類は舌を巻いた。彼がいつもあまりに腰が低く柔らかな笑みを浮かべているものだから、芸歴十五年のエンターテイナーだということを忘れていた。歌うことだけでなくダンスだって演技だって何一つ変わることない容姿でずっとやってきたのだ。自分のように成長して背が伸びることも声が低くなることも、これから先老いていくこともなく同じ姿でこれからもずっと。
 ようやくフリーズから抜け出した司が威勢のいい大声でアリス役を演じている。それを類が眺めているとその隣のカイトも目に入ってくる。彼はこちらに気がついて「ね、大丈夫だったでしょう?」と類の不安を見通したかのようにふわりと笑った。


 


2010/05/04