さんばいがえし


2008年3月1日
 レンはカレンダーを見ながら唸った。リンが大騒ぎしているのだ「ホワイトデーはさんばいがえし!」なのだと。
 リンとレンが生まれて初めて迎えるホワイトデー、確かにバレンタインにチョコは貰ったけど本当に3倍にして返すべきなのか…手作りチョコの3倍とは一体何なのか?
 3倍の量のチョコは不正解な気がする。
 ネットで見ても何だか高そうなアクセサリーやバッグが紹介されているし、14歳の少年設定でありまだ起動して3ヶ月程度のアンドロイドには全くの予想がつかなかった。
 とりあえず一応先に生まれた先輩であり、頼りないが兄のはずの男に聞いてみる事にした。

「カイ兄は、ホワイトデーのお返しどうするの?」
 女性陣がいない時を見計らって居間のソファーで雑誌を読んでいたカイトに声をかけた。
「ホワイトデー?家族の分でしょ?」
 雑誌から顔をあげたカイトにレンは頷いた。ファンから来た分は事務所がカードで返してくれるし、スタッフ関係者や友人の分はメイコが全部揃えてくれるという。そうなると個人で貰った分、すなわちメイコミクリンの3人の分という事になる。
「お菓子を貰ったんだから、お菓子でいいんじゃないの?」
 あっさりとした返答に戸惑いを隠せない「さんばいがえし」とは何だったのか…
「買ってもいいと思うけど…みんなから貰ったチョコは手作りだったから僕はクッキー焼くけど、レン君も一枚噛む?」
 何か変な話になってきたような気がする。急展開にレンは頭にハテナを浮かべたまま兄を見返した。一枚噛むとは何だろう…クッキーを噛むのか…?小首をかしげたままのレンに気がついてカイトは分かりやすく言い直した。
「クッキー作りを手伝ってくれるなら、二人で一緒のお返しにしようって事」
「えっと…カイ兄と俺でクッキーを作るの?」
「そう」
「ていうかカイ兄は一体ナニモノなの?」
「日本で初の日本語男声ボーカロイドだけど」
 その割にはまともな歌を歌ってるところを見ないとか言ってはいけない気がした。
 カイトはそれには気付かずに続ける。
「それと、何か一品買ってきて一緒にプレゼントするの」
「何か?」
「うーん、雑貨とかアクセサリーとか」
「結局チョコより高くなるじゃん!」
 少なくとも「にばいがえし」くらいにはなりそうだと思った。
「まあ、クッキーの原料代は僕らの懐から出てるわけじゃないし…高いものじゃなくていいんだよハンカチとか」
 衣食住に掛かる経費は全て自分たちを製作した研究所とやらが払ってくれているらしい。その辺の管理は家長であるメイコとカイトが担っているが、それとは別にお給料なるものも貰っていてそちらは個人が好きに使ってもいいことになっている。レンも最初は戸惑ったが、今はお菓子やゲームを買うのに使っている。

「カイ兄は何にするの?」
「僕は毎年花だよ、うちの子達はみんな花好きだしね」
 確かに姉達はステージの花も持って帰ってくるほど花が好きだった。リビングにはいつも生花が飾られていい匂いを放っている。
 それでも結局のところ、女から貰ったのより高くなるではないか!世の中”だんじょびょーどー”ではない、VOCALOID界だってこの家だって女の方が強いのだ。それは反抗期設定の少年にとっては面白くなかった。
「なんか納得いかねー」
「値段の事?僕は…先に行動を起こしてくれたっていう事自体に価値があるんじゃないかなって思うんだけど。好きな人が自分のためにプレゼントを選んでくれたり、作ったりしてくれたんだよ?僕の事だけを考えて!ね?嬉しくない?要するに”気持ち”の問題だよ」
「好きな人って……リンだよ?」
「リンちゃんの事好きじゃないの?」
「カイ兄がメイ姉を好きなのと、俺がリンを好きなのは別もんだと思うけど」
「そうかなぁ…」

 それでもまだ不機嫌そうな顔のレンにカイトは真顔で付け足した。急に表情が消えて、いつもやたらニコニコしているので忘れていたけどレンはカイトが釣り目だった事を思い出した。
「じゃあさ、プレゼントしなかった時の事考えてみなよ」
「え?」
「一年……いやこれから一生愚痴を言われ続けるんだよ?『あの時お返しをくれなかった!』って」
 稼働時間の短いレンにもその光景は手に取るように想像できた。そういう答えを返してくるカイトに疑いの目を向ける。いつもは穏やかに笑っている好青年ぶった兄だけど、たまにそうではない一面が見え隠れするような気がする。
「カイ兄って……」
「何?」
「割とドライなんだね」
「そんな事ないよ。レンくんが納得いってないようだったから、合わせた答えを用意してあげただけだよ。本当はそんな事1ミリも思ってないよ」
と再びにっこりと笑う。その胡散臭さにレンは密かに眉を潜めた。

「カイ兄はメイ姉には特別にお返しとかしないの?」
「しないよ。チョコ以外にはもらってないし」
 まだこの家に来て数ヶ月のレンにとって、この兄と姉の関係性はよく分からなかった。レンにとっては兄と姉だけど、この二人の間には姉弟の関係には見えなかったからだ。
「ねえ、カイ兄とメイ姉って姉弟(きょうだい)なの?」
 再び雑誌に目を落としページをめくっていたカイトの手が止まる。
「違うの?」
 追い討ちをかけるように尋ねると、カイトは雑誌を閉じてレンに向き直るが、その顔はずいぶん余裕がないように見えた。
「いや…違うけど…」
「じゃあ、何なの?」
 一拍置いてカイトがつぶやくように声にした。
「考えた事がなかった…一緒にいるのが当たり前すぎて……そもそも、兄妹って話はミクちゃんが来る時にめーちゃんと二人で決めたんだ。一緒に住むのに先輩後輩じゃ堅苦しいよねって」
「え?そうなの?!じゃあミク姉が来る前は、メイ姉とカイ兄は先輩後輩の関係だったの?」
「…いや、僕ら発売は時間差があったけど、開発は一緒だし二人ともV1だし…姉弟じゃなくて…もっと同等な……」
 姉弟じゃないという言葉には少しびっくりしたが、よくよく考えてみればメイコとカイト、最初に「姉」「兄」だと紹介されたけどどちらが上か分からなかったのだ。メイコの方がしっかりしているものの、二人の間に上下関係が見当たらなかったからかもしれない。
「これが当たり前だと思ってたから。男女の一組のボーカロイドで、姉弟でも先輩後輩でもなく……ライバル?いや違うな」
 ほとんど独り言に近いカイトの言葉の続きをレンは静かに待っていた。
「なんていうか……パートナーみたいな?うん。そうそうパートナー。仕事としても家族としても、二人で一つみたいな」
 カイトは満足のいく回答が出て爽やかな笑顔で語り出した。
「そういうのって…」
 レンは言いかけてやめた。”夫婦”っていうんじゃないの?と。
 きっと自分がまだ生まれたてだから言葉を知らないだけど、きっと他にもっとぴったり当てはまる言葉があるのだと。

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2022年3月13日
「いやー、これでレンくんとクッキー焼くのも14回目だね。今年は人数も多いからパウンドケーキも昨日焼いておいたよ」
 呑気な声でカイトが手慣れた手つきで冷凍庫からクッキー生地を取り出した。カイトが下ごしらえしておいたその生地はプレーンとココアのチェッカー模様になっている。
「なんか毎年どんどん手が込んできてない?」
「まあ、これくらいはちゃんと作っておかないと」
「これから一生愚痴を言われ続けるから?」
「そうそう」
 笑いならがカイトは生地を切り分けていく。レンは別の生地を使って動物柄の型で抜いていった。
「それにしても増えたよねぇ…」
 カイトが材料の山を見てさすがに苦笑した。始めた頃は姉妹の3人分だけで済んだものが、今やボーカロイドの女子たち全員分を賄わなければならない。
「ええっと…何人だっけ?うちが4人、グミちゃんリリィちゃんに…」
 カイトが指折数え出したが、たぶん両手の指を使っても数え切れないだろう。
「今年はリュウトもくれたよ。グミ達と一緒に作ったんだって」
「余る分には問題ないからとりあえずたくさん作ろう、レンくん頑張ろう」
  数える事を諦めた兄は、クッキーを作る事に専念し始めたようだ。

「ねえ、カイ兄とメイ姉はパートナーって事でいいの?」
「何で毎年同じ事を聞くの?」
 カイトは不思議そうに小首を傾げる。
「恋人同士じゃなくて?」
「こいびと…?」
 包丁を持っていた手が止まる。カイトは長考し始めると手が止まるのが癖だ。旧型のせいかと思っていたがV3になっても変わらないし、そもそもメイコにはない反応だった。
「うーん…人間だったらそう言うのかな?でもなんだかしっくりこないんだよね。恋人は家族じゃないんでしょ?だったら違うかな?むしろ”同士”の方が合ってる」

レンは毎年こうやってクッキーを作るたびに初めてカイトにメイコとの関係性を尋ねた時の事を思い出すが、稼働して14年の設定年齢14歳のアンドロイドでもやっぱり”夫婦”以外のぴったりの言葉が思いつかなかった。



 


2022/03/12
5年前に書いたものを手直ししてます。これは付き合ってないカイメイでしたね。昔書いたものは、付き合ってたり付き合ってなかったりするのが結構混在してました。
個人的に栗6兄弟はサザエさんファミリー的なイメージ(人数は合ってない)マスオサザエ夫婦がいて、弟妹達が一緒に暮らしてる感じで。
ミクにとってはメイコは姉だしカイトは兄なんだけど、メイコとカイトは姉弟じゃないよって設定です。

ざっくり設定
研究所:アンドロイドを製作したところ。(身体とAIの管理)
事務所:ボーカロイドの管理してるところ。(歌う機能と歌の仕事の管理)