鏡音のおねだり

 カイトがソファーでタブレットを見ていると後ろから二つの影に挟まれた。
『おにーちゃん!』
 左右から同じ声で聞こえてくるそれは完璧なサラウンドになって頭に響く。だいたいいつも「カイ兄」と呼んでいるこの二人が「お兄ちゃん」なんて呼ぶときは大抵ろくなことがない。例えば何かをねだる時とか……それでもカイトは左側…リンに向かって振り向くと「何だい?」と笑いかける。
『お兄ちゃん!私(俺)たち欲しいものがあるの!』
 それ見たことかと密かに息をつく。前には大型家具店のサメのぬいぐるみを6体も買わされた事がある。あれはそんなに高くなかったし、みんな喜んでくれたからいいのだけど。メイコなどは今だに食卓にサメを座らせて写真を撮ったりしているので大切にしてくれているみたいだし。
「何が欲しいの?」
 とりあえずカイトがローテーブルにタブレットを置くと、二人はソファーの後ろからぐるりと前に回ってきてカイトの両脇を取り囲んだ。そしてそっくりな笑顔でにっこり笑うと再び元気に返事を返す。
『iMacを6台!』
「はぁ?」
 あいまっく?あれだよな?Appleが出してるディスプレイ一体型のパソコン。あれ確か一番安いのでも1台15万円くらいするぞ?
 ガジェット好きのカイトは最近話題になった新しいiMacの情報を知ってはいたが子供が”おねだり”する価格ではないと眉をひそめた。
「6台って…一人1台って事?」
「うん!最新のやつ、ちゃんとうちの兄弟と同じカラーが出てるんだよ!」
「オレンジと黄色も両方あるの!すごくない?!」
 二人でうんうんと頷いている。
 なるほどそういう訳か。確かにオレンジと黄色は似た色に分類される為、カラーリングで両方揃うのは珍しい。
「それでリンちゃんとレンくんはiMacで何をするつもりなの?」
 用途も不明なものに90万円も出して堪らないので理由を聞いてみることにする。内容によっては考えてやらないこともない。
「VOCALOIDを入れてボカロPになるんだよ!」
「……自分で歌えば?」
「カイ兄わかってないなー今はVOCALOIDじゃなくて”ボカロP”が流行りなんだよ!NHKで特番とか組まれちゃうわけ」
 レンがチッチと人差し指を振ってカッコつけてみせる。
 いやいや君たちつい最近”リンレン”で特番組まれてなかったっけ?!あれかなり羨ましかったけど?
「うーん…じゃあ君たちはボカロPになる為にiMacが欲しいと…」
『そう!』
 だいぶ頭が痛くなってきた。

「あの…他の子たちは?」
 レンがにっこり笑って答える。
「ルカは『ピンクが無いけど紫だったら貰ってあげてもいいわ』って」
「何で上から目線なの?!」
 続いてリンが同じ笑顔で答えた。君たち本当に連携プレイ得意だよね。

「メイ姉は『赤くてかわいいわね。インテリアにとして部屋に飾っておくわ』って」
「それ電源すら入れないパターン!」
 しかも背面の方を表にして飾っておくやつだ。

 そこでようやく一番最初に話題乗ってきそうなうちの歌姫の事を思い出す。
「ミクちゃんは?」
『あー…』
 二人は言葉を濁して顔を見合わせている。これはいい兆候かもしれない。うちのミクちゃんはとてもいい子で空気を読む優等生だ。お金ににも困ってないからiMacどころか56万するiMac Proも自分で買える。(販売終了したけど)兄を想って「いらない」って言ってくれたのかもしれない。期待して次の言葉を待つとレンが一呼吸を置いて話し出した。
「ミク姉は…『Appleの完全新作って初期不良が多いんだよね。それにiMacって言ったらやっぱり27インチ。れてぃーなごけーじゃなきゃね。もう少ししたら改良版のiMac27インチが出るだろうからそれの松が欲しいな』だって。カイ兄、松って何?」
「一番高いの要求してきやがった…」
 いつからApple信者になったんだ、だいたいMacなんてV1もV2も動かないくせに!
 カイトが物理的に頭を抱えてうずくまると、リンとレンが『ねーねー買ってよー』などと駄菓子でもねだるように左右から肩を揺さぶった。
「わかった!」とカイトは急に飛び起きる。
「君たちのノートパソコンにリンレンV4Xを入れてあげよう。使い方も丁寧に教えてあげる。これで立派なボカロPだ!何だったらP名も考えてあげる」
「それでボカロPになれるの?!」
「有名になれる?!」
「うんなれるなれる」
 リンとレンが目をまん丸にして矢継ぎ早に訪ねてくるので、カイトが優しく笑顔で頷くと二人はパアッと顔を輝かして2階の自室へ走っていった。居間から二人がいなくなると、カイトは張り付いた笑顔を解いてため息を吐いた。
「危ない…100万円くらい飛ぶところだった…」
 とりあえず二人の気を引きつけてVOCALOIDの使い方を説明してやれば、そちらに夢中になって忘れてくれるはずだ。今度KAITO V3もインストールして何か曲を作ってもらおう。それくらいの報酬があってもいい。少しだけ気を取り直すとカイトはソファーに深く座りなおして二人を待った。

□□□

 結論から言うとリンとレンは3日も持たずにVOCALOIDに飽きて数ヶ月後にはもうiMacの事もすっかり忘れてしまったので、カイトの密かな自分の持ち歌を増やす企みも、適当に考えた二人分のP名も水泡に帰した。
 いつも通りカイトがリビングのソファーで新譜の楽譜を読んでいると、そこに落ちる3本の影。カイトが顔を上げるとそこには3人の人影ではなく、真ん中に細身の少女とその脇の大きなツインテール。彼女は満面の笑みで「お兄ちゃん」と呼びかけた。
「iMac27インチ発売されたの!買ってくれるって約束したよね?!」
 言ってない言ってないぞ?!カイトが首を横にブルブル振るとミクは怪訝そうな顔をする。
「そもそもミクちゃんはiMacで何をするつもりなの?」
「初音ミクNTを入れてボカロPになるの!」
 初音ミク、お前もか…カイトは頭をガックリと肩を落とした。


 

2021/05/31

「あのさ…NT使いでもボカロPって呼ぶの?」
「わーお兄ちゃんそういう理屈っぽいとモテないよー」
2022年3月末現在、まだ6色のカラフルiMac27インチは発売されてません。